とさでん交通いの線&高知城

2016年06月29日 10:01



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遍路を終えて、泊まった「かんぼの宿伊野」は仁淀川河畔に聳える大きな宿泊施設だった。
かんぽの宿は亡父がよく利用していた。
場所は中心街から少し離れるが、自前の建物なら設備が良く値段もリーゾナブルだ。


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全室「リバーサイド」で、仁淀川が真下を流れている。
それに、土讃線の鉄橋も!!


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対岸の伊野駅で列車交換をやっている。
右が上りの高知行きで、左は下りの須崎・窪川方面行きの各停だ。
上りが先に発車して、まもなく下りがやってくる。
遮る物がなにもないので、警笛の音がここまで聞こえてくる。


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仁淀川鉄橋通過。
まるでジオラマの中を模型の列車が走っているようだ。


丸1日空いたが生憎昼前から雨の予報が出ている。
それでも折角ここまで来ているのだからと、とさでん交通いの線と高知城を見に行く事にした。
カミさんは生まれも育ちも隣の愛媛県なのに、今回のお遍路まで高知県に足を踏み入れた事がないという。
そこまで出不精だったのかと改めて驚いた。



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終点の伊野停留所は平成20年に建て替えられた。

以前は土佐電気鉄道という私鉄で土電(とでん)と呼ばれていたが、現在は高知県や県内自治体が出資する三セク線になっている。
鉄道はJR各線のように床の高い高速列車が走り、軌道は各都市の市電のように低床の路面電車が走るが、
この路線は、鉄道事業法による鉄道と軌道法による軌道が一本の路線の中に混在している。
使用されている車両は路面電車で、これが専用軌道の単線、ローカル線相当の線路を走っているミスマッチ感が面白い。

本当は全区間乗って完乗としたいが、伊野-はりまや橋-御免の東西線と高知駅前-桟橋五丁目の桟橋線を乗りつぶし、しかも元の駅まで戻ってくるとなると3~4時間かかってしまう。
今回は路線の景色を見る事にした。


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駅前から左に線路が延びているが、繋がってはいない。


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ここは道路ではなく線路だった。


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少し高い所で行き止まりになっている。
かっては4本の留置線をもつ車庫だったが、今は駐車場になっている。


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電車がやってくる。
停留所の前だけ複線になっているが、1時間に3本程度の運転間隔では待避線の必要はないだろう。


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主力車両の600形が左側のホームに近い側に入線した。


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列車止めは店舗の前に申し訳程度のものがある。
この先道幅は急にほ細くなっている。車が入ってこないので乗降客も安心して道路を歩ける。

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5分程度停車した後で、再び高知方面に発車して行った。
しかし、次の停留所までは100メートル程しかない。


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信号を右へ渡るとJR土讃線伊野駅がある為だ。
駅名は伊野駅前停留所

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伊野駅前駅を出ると専用軌道に入る。
停留所のホームは基本的に道路と反対側に設けられている。

この道路は国道33号線で松山と高知を結ぶ主要国道である。その道幅の1/3を私鉄が占有するとは。
かっては高松と高知を結ぶ32号線と共に「V字ロード」と呼ばれていた。
今では高松~松山間と川之江~高知間の高速道路が「T字ロード」を形成している。



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商業施設が並んでいて、乗降の多い停留所では少し脇へ寄る・・・・・
だが車社会でどれ位の人が電車を利用のするだろう。
3セク線になる際の調査では、バス鉄道の利用シェアは各々1%ずつしか無いという先に光明が見えない状態だった。



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単線区間が長いので、3ヵ所に列車交換のできる信号所がある。
バラスを敷いた線路と車道が柵もなく一体になっている景色は、ちょっとシュールである。


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これも600形だが土佐電鉄塗装の車両だ。


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高知市との境は峠になっていた。
さすがに枕木やスラブがしっかりしている。


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これまで道路の右側をつかず離れず併走していた土讃線が、咥内(こうない)停留所付近でクロスして左側に移る。
伊野線が全通したのは明治40年、土讃線の高知-日下間が開業したのは大正13年。
国有鉄道と雖も後輩の土讃線が、先輩の伊野線の上をオーバークロスするのが鉄道の習だ。


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それにしてもサイドにガードも何もないレールだけの鉄橋だ。
ここで脱線したら列車が降ってくる。


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これは2000年にデビューした2000形。
最も新しい車両だ。


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朝倉駅前の停留所辺りから、より細い道路に線路が敷かれている。
元はこちらが「メインストリート」だったのだろうが、100年経てば街道も変わる。
専用軌道だが道路が狭くて車線を確保できないから、車も通行できる。
優先権は鉄道にある。電車が前から来たり後ろに追いつかれても(追いついても)抜けられそうな横道が無い。
この区間が結構続く。


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途中、列車交換のできる箇所があるがここは停留所ではない。鴨部停留所はもう少し先だ。
この先左折すれば太い道路に出られそうだ。


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鏡川を渡る。
両側に2車線の自動車橋を従えて、真ん中を路面電車の単線鉄橋が通っている。
ここから再び国道33号線を走る。


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渡り終えた頃になって電車がやってきた。
渋滞している車の間をスイスイ走り抜けていく。
先ほどの専用軌道の上を走っている時に、あれが来ていたらヤバかった。フウ。



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岸を渡り終えた所が鏡川停留所だ。
ここからは2車線で道路の中央の併用軌道を走る普通の路面電車の風景に変わる。


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路盤の石が痛んできて、あちこちで凸凹になっている。
3セクになる前は赤字続きで路盤補修まで手が回らなかったのだろう。
市の中心部に行くとさすがにアスファルト舗装に代わりつつあった。

高校生の夏休みに室戸岬を回って高知経由で母の実家のある愛媛県の壬生川に向かった事がある。
それ以来50年ぶりだが、県庁回りの一部の地域を除いて高い建物がなく、道路沿いの店舗の構え等も昔のままのように思える。
街中の移動手段がずっと路面電車だったからだろうか。
あの頃は大阪も東京も路面電車が全盛期だったが、まもなく交通渋滞の元凶とされて急速に廃止されていった。



県庁前でとさでんとお別れして高知城の駐車場に車を入れた。
まだ天守閣が開く9時になっていないが、既に数台入っていた。




追手門から天守閣を臨む。


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板垣退助なんて最近の人は知らないのではないか。


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山内一豊はこの奥さんの「千代」の内助と、掛川城を関ヶ原に向かう家康に明け渡したゴマスリで土佐一国を手に入れた。
長宗我部の旧臣の反乱を力で押さえ込んだ後は、彼らを「下士」として掛川からの家臣団の下に位置づけた。
その下士達の抑圧されたエネルギーが幕末になって倒幕に向けて爆発した。
家康を初めとして、敵対した側の旧家臣をうまく取り込んで勢力を拡大した大名は多い。統治者としての器が小さかったと言わざるを得ない。


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江戸期に建造された天守閣が残っている城は、姫路城を始め全国に12城ある。
高知城もその一つだが、それに加えてここは本丸の建物が総て残っている。


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書院造りの広間を通って天守閣に入る。


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東面、入ってきた追手門から三の丸方面の眺め。右奥がはりまや橋の辺りだ。


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二の丸は何も残っていない。


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県庁前の交差点で、今は同じ会社になった高知県交通のバスと土佐電鉄の路面電車が交差している。
この交差点が、国道33号線と32号線の境界である。

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松山、高松、室戸岬、足摺岬(中村)へと四達するこの交差点は、東京ならば日本橋に相当する高知県の「へそ」だろう。



四国方面は雨という予報で大阪に帰ってきたら、カンカン照りの日差しが戻っていた。



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