失われた風景 (5)

2017年03月08日 20:14




[女川駅/石巻線]
元記事→ 大人の休日倶楽部パスで中部・北関東・南東北7泊8日の旅 2009/11/09~16 第5日その2


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午後4時過ぎだったが、既に陽は暮れかけていた。
列車は意外と多くの乗客を運んできた。


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外観は手直しされているが、古い駅舎の原型を残す木造駅舎だった。
女川の街の中だったが、2011年3月11日、東日本大震災の津波はこここまで来て駅を掠っていった。


[島越駅/三陸鉄道]
元記事→ みちのくフリー切符で行く北東北3県の旅2009/05/14~19第5日 

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JR全線完乗の旅の中で、三陸鉄道の唯一途中下車したのがこの島越駅だった。


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瀟洒なドーム屋根の駅は、3.11の津波で跡形も無くなった。
1時間程の待ち時間の間、駅を委託されている女性に話し相手になって貰った。
安否が気になっていたが、駅再建と共に元の職に復帰されていたのを知ってほっとした。


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島越駅で降りたのは、北山崎の海岸を海から見たかったからだ。
晴れていても波は荒く、隆起した断崖を削って絶景を造りだしている。


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駅まで押し流す津波に遭っては、観光船の船着き場や休憩所はひとたまりもなかった。



[岩泉線]
元記事上に同じ

岩泉線は2014年に廃線となったが、2010年7月から土砂崩れで不通になっていた。
私が乗ったのはその前年だった。

宇部線と山陽本線を結んでいる小野田線に、雀田から長門本山までの支線がある。
列車は朝2本夕方3本しかない。これに乗るのは至難の技だった。
折尾駅を目指して、中国・九州2泊3日の旅 2009/09第2日/10~12
岩泉線はそれと双璧をなす乗車困難路線だった。
岩泉駅から日本三大鍾乳洞の一つの龍泉洞に行けるが、1日3本しか走っていないJRに乗る人は殆どいなかっただろう。


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終点岩泉駅は超ローカル線にしては随分とモダンで立派な駅舎だった。


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ここも線路はまだ先に延びたがっているように見える。
三陸鉄道の小本駅に接続する予定であった。


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浅内駅に残る蒸気機関車時代の給水塔。


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押角峠を越えると小本川の渓谷沿いを走る。
こんな山の中まで渓流釣りに来る人がいる。



[大谷海岸駅/気仙沼線]
元記事→ 雪の東北冬の旅 2009/02/15~18 第4日

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2月だったが、日差しがよく差し込む車内はポカポカと春の陽気だった。
太平洋が青く拡がり、東北の海岸ではなくて南国の海岸を走っているような気分だった。


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大谷海岸は「駅から最も近い海水浴場」としてPRされていた。

津波で駅は流出し、線路も路盤が沈下して同じ位置を走る事は不可能になっている。


[三江線]
元記事→ 陰陽連絡線で中国山地縦断の旅 2009/03/01~03 第2日

三江線は2018年3月末をもって廃線になる。


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広島県三次と島根県江津を結ぶ陰陽連絡線の一つで、中国地方で最大の川、江の川に沿って走る。
江の川は最も上流の三次でも既にこんな川幅の広い大河となっているが、流域に平野はない。


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車窓から見える家の屋根は石州瓦でふかれている。


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三江線は悠々と流れる江の川に沿ってのんびりと走る。
この心地良さは鉄道旅の醍醐味である。


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三江線は川の左岸を走るが、時々思い出したように河を渡る。


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川と線路がどこまでも並んで併走する。


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三次から江津まで直行列車はない。
必ずどこかで長時間の列車待ちを強要される。
10時に三次を出発して108キロ先の江津に着くのは15時になってしまう。

今日は石見川本で1時間40分の時間待ちがある。
こんなときは大抵近くの観光スポットに行くのだが、三江線の沿線にはそれが無い。
「江」に入れば「江」に従え。
このゆったりとした時間の流れに身を委ねるしかない。
江の川の土手に上がって散歩をした。



[糸魚川レンガ車庫]
元記事→紀勢線廻りで北信越周遊、各駅停車日本縦断の旅 2009/10/11~17第3日

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2015年3月から北陸本線がJRから三セク線になると共に、糸魚川に新幹線の駅が出来た。
在来線の列車の車庫は必要なくなる。

2010年春にこのレンガ車庫は解体された。
この旅の半年後だった。
今は入り口部分だけが切り取られて、新しい駅舎の壁に記念碑的に埋め込まれている。


[餘部鉄橋]
元記事→餘部鉄橋から城崎温泉へ

餘部鉄橋は2010年にトレッセル橋からPCコンクリート橋に掛け替えられた。
2008年に工事前の姿を写真に収める為に餘部までドライブした。
餘部橋梁を鉄道で渡ったのはその年の秋、JR全線完乗のきっかけとなった山陰本線各駅停車の旅 2008/11/3~5だった。


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明治45年に付けられた鉄橋が解体されたのは、強風で客車が墜落し、下の工場で働いていた人が亡くなるという事故の為である。
しかし、それは鉄橋の所為だろうか。

明治45年以降で最も強い風が吹いたわけではない。
橋の強度が不足して壊れたわけではない。
強風時の手順がキチンと伝達されていなかった人的ミスに依る所が大きい。

鉄橋はなんの「罪」もないのに解体されてしまった。
人間が作る食べ物の味を覚えた熊が射殺されてしまうのと同じような虚しさを覚える。


2008~2010年のJR全線完乗時に私が見た鉄道風景が、短時間にこんなにも沢山失われるとは予想外だった。
あの時旅に出る決心をしていなければ、あるいは出発がもう1年遅かったら、
二度と出会えぬ風景だった。

三江線には廃線になる前にもう一度乗ってみたいと思っている。



このシリーズはこれで終わります。


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